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2006年1月

2006年1月16日 (月)

宿屋めぐり(1)

著者
町田 康

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収載書籍
「群像」2006.1月号

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昨年刊行の『告白』は日本文学史に残る名作だと思います。


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「告白」よりも「パンク侍、斬られて候」に似ています。
まだ第1回ですが、面白いです。期待大。


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2006年1月15日 (日)

大きな熊が来る前に、おやすみ

著者
島本 理生

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収載書籍
「新潮」2006.1月号

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昨年刊行の『ナラタージュ』が話題になっていたようなので、この作家に興味を持って読んでみました。


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つまらないですね。

決定的な問題は、暴力を扱いながら暴力の表出の場面にまったく暴力性が無い事だと思います。
多分こういった小説は吉村萬一の方がはるかにうまいです。
恋愛小説のもつあまったるさは、この人のほうがうまいかもしれませんが。

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精霊たちの家

著者
イサベル・アジェンデ著,木村榮一訳

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収載書籍
『精霊たちの家』 (国書刊行会 1989.12)

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原題は、「La Casa de Los Espiritus」。
大学時代の先輩に借りて読みました。


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最初は、「やばっ、この小説苦手かも」と思ったのだが、途中から面白くて読み進めずにはいられなくなった。
この小説の面白さは、「視点の転換」にある。と思う。たとえば、ローサを解剖する場面では、その解剖を知らずに寝るもの、知っていながら自室にこもるもの、解剖に立ち会ったクエバス医師の視点、そしてその助手の官能的な視点、そしてそれを「偶然」見てしまうクラーラの視点、さらにそれを俯瞰する語り手(エステーバン?)の視点の重層化がおこる。この長い長い物語を通してこの視点の重層化は近似値をもってなんども繰り返され、最終的には重層化していく視点そのものが、「運命」や「血族」を語るひとつの手段となり得ているところは見事である。
文学とは、語りえぬことを、間接的に語るところにその妙があるのであるが、このようなサーガの成立のさせ方は、まさしく物語から文学へと昇華してく原初的にして高度な技術と呼ぶべきであろう。

とは言いつつ、私は同じラテン=アメリカ文学のサーガ小説の名作『百年の孤独』を未読である。これを機会にぜひ読んでみたい。

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